「女探偵エスパンク？ ああ、知ってるさ。なんだ、お前さん、うちの新聞を読んでないな」
ヨーコックはにやりと笑って、ずり落ちそうな丸眼鏡の位置を直した。新聞商会の二階の部屋には午後の日が差し込んで、新しい新聞、古い新聞、無数の本、巻物、備忘録を照らし出していた。
「売り子が歩いているような時間にはまだ寝床の中なんだ」
「夜の店でも売ってるだろう。近頃はどこで飲んでるんだ」
「〈赤い扉〉さ」
「何だって？ お前さんらしくないな。性根の腐った金持ち御用達の店だろう」
ヨーコック新聞商会の主は、私の茶碗にマシュウ茶を注ぎ、眼鏡の縁越しに訝しげにこちらを見た。
「仕事とはいえ常連にはなりたくないんでね、ここに寄ってみたのさ。スラッティーという女を知ってるかい。〈首飾りの女〉または〈ふしだらなスラッティー〉だ」
「どうして、そう厄介な女たちとばかり、かかわり合うんだ」
「化け物と同じだ。なぜか向こうから寄ってくるのさ。まずはエスパンクから聞こう」
「そうとも思えないがな」
ヨーコックは少しばかり難しそうな顔をして、側に置いてあった新聞を放ってよこした。私は見出しの文字を声に出して読んでみた。
「『サンジェリィに女探偵あらわる！ 盗まれた秘宝〈ジーンカの腕輪〉を取り戻す！』珍しく派手な調子だね」
ひと月ばかり前の日付で、ちょうど私が湖水地方を旅していた頃のものだった。エスパンクという若く美しい女探偵が、骨董商から盗まれた貴重な腕輪を、盗賊の隠れ家に潜入して奪い返したという冒険が、派手な筆致で大袈裟に記されていた。片手に腕輪、片手に短刀を持った男装の美女が、盗賊相手に見栄を切っている挿絵がついていた。
「本物はもう少しきつい顔立ちだったな。それと胸も尻もこんなに大きくはないね」
「何だ、もう懇ろなのか」
「馬鹿言っちゃいけない。仕事の邪魔をされた」
私は昨夜の出来事を話した。ヨーコックは苦笑を浮かべて「あの娘らしいな」と言った。
「あんたの方こそ、知り合いなのか」
「父親のことは知っている。あの娘も子どもの頃、何度かここに遊びにきたことがある。負けん気の強い娘だったな」
ヨーコックはマシュウ茶をすすりながら、エスパンクの素性について語った。彼女の父親は、ヨーコック新聞商会に出入りして記事の種を提供していた男だった。サンジェリィの裏町では、結構名の知られた男だった。ちょうど、私が世界放浪の旅に出ていた頃の話らしい。
彼女の父親は殺された。港役人の贈賄をめぐる事件に首を突っ込みすぎて、何者かに殺されたらしい。犯人はあがらなかった。警邏隊も汚職に一口噛んでいて、まともに捜査をしなかったとヨーコックは言った。
「だから、あの娘は探偵稼業を始めたのさ。信用ならねえ警邏隊に成り代わって、悪い奴らを自分の手で成敗したいんだろう。〈ジーンカの腕輪〉の一件は大手柄さ。女探偵なんて、この街にもそんなにいるもんじゃない。俺も陰ながら、もり立ててやりたいと思って、記事はちょっとばかり大袈裟に書いたのさ」
「真実をあなたに」を座右の銘としているヨーコックにしては、珍しいことだった。
「次はスラッティーだ」
私は彼女の家名は避けながら、おおむね知っていることを話した。
「ふうん、ランケン、まあ、そんなところだが、一つ大切な一件が抜けている」
「どうも金持ち連中の世界は、苦手でね」
「そんなことを言ってたんでは、エスパンクに説教はできないぜ」
私は両手を上げて、降参だという仕草をした。
「市の出納次長の娘が行方知れずになっている。キナラサという娘だ。キナラサが〈赤い扉〉に出入りしていたのは誰でも知っている。スラッティーと恋仲だと噂されたこともある女だ」
「今時、女同士、男同士でも、誰も驚かないがね」
「スラッティーは男を煙にまくのも得意だが、近頃は特に女にご執心らしい。キナラサとは深い仲だというもっぱらの噂だった」
〈赤い扉〉で見た青い服の美しい女と口づけをかわす彼女の姿が頭に浮かんだ。愛する男を失った彼女は、色恋に関する宗旨替えを行ったのだろうか。
「〈ジーンカの腕輪〉の一件の骨董商は、出納次長と懇意だ。エイマン王の古物好きで、お偉い奴らは、みんなひび割れた神像や黴臭い古文書に一家言あるような顔しているからな」
「女探偵は出納次長の娘の探索を依頼されていると」
「多分な」
「ふむ、厄介だな」
「厄介な女がお好みなんだろう」
「この世に厄介じゃない女なんているのか」
「俺は知らない」
「俺も知らないな」
ヨーコックと私は曖昧な笑みを浮かべて、渋いマシュウ茶を飲んだ。
ヨーコックはにやりと笑って、ずり落ちそうな丸眼鏡の位置を直した。新聞商会の二階の部屋には午後の日が差し込んで、新しい新聞、古い新聞、無数の本、巻物、備忘録を照らし出していた。
「売り子が歩いているような時間にはまだ寝床の中なんだ」
「夜の店でも売ってるだろう。近頃はどこで飲んでるんだ」
「〈赤い扉〉さ」
「何だって？ お前さんらしくないな。性根の腐った金持ち御用達の店だろう」
ヨーコック新聞商会の主は、私の茶碗にマシュウ茶を注ぎ、眼鏡の縁越しに訝しげにこちらを見た。
「仕事とはいえ常連にはなりたくないんでね、ここに寄ってみたのさ。スラッティーという女を知ってるかい。〈首飾りの女〉または〈ふしだらなスラッティー〉だ」
「どうして、そう厄介な女たちとばかり、かかわり合うんだ」
「化け物と同じだ。なぜか向こうから寄ってくるのさ。まずはエスパンクから聞こう」
「そうとも思えないがな」
ヨーコックは少しばかり難しそうな顔をして、側に置いてあった新聞を放ってよこした。私は見出しの文字を声に出して読んでみた。
「『サンジェリィに女探偵あらわる！ 盗まれた秘宝〈ジーンカの腕輪〉を取り戻す！』珍しく派手な調子だね」
ひと月ばかり前の日付で、ちょうど私が湖水地方を旅していた頃のものだった。エスパンクという若く美しい女探偵が、骨董商から盗まれた貴重な腕輪を、盗賊の隠れ家に潜入して奪い返したという冒険が、派手な筆致で大袈裟に記されていた。片手に腕輪、片手に短刀を持った男装の美女が、盗賊相手に見栄を切っている挿絵がついていた。
「本物はもう少しきつい顔立ちだったな。それと胸も尻もこんなに大きくはないね」
「何だ、もう懇ろなのか」
「馬鹿言っちゃいけない。仕事の邪魔をされた」
私は昨夜の出来事を話した。ヨーコックは苦笑を浮かべて「あの娘らしいな」と言った。
「あんたの方こそ、知り合いなのか」
「父親のことは知っている。あの娘も子どもの頃、何度かここに遊びにきたことがある。負けん気の強い娘だったな」
ヨーコックはマシュウ茶をすすりながら、エスパンクの素性について語った。彼女の父親は、ヨーコック新聞商会に出入りして記事の種を提供していた男だった。サンジェリィの裏町では、結構名の知られた男だった。ちょうど、私が世界放浪の旅に出ていた頃の話らしい。
彼女の父親は殺された。港役人の贈賄をめぐる事件に首を突っ込みすぎて、何者かに殺されたらしい。犯人はあがらなかった。警邏隊も汚職に一口噛んでいて、まともに捜査をしなかったとヨーコックは言った。
「だから、あの娘は探偵稼業を始めたのさ。信用ならねえ警邏隊に成り代わって、悪い奴らを自分の手で成敗したいんだろう。〈ジーンカの腕輪〉の一件は大手柄さ。女探偵なんて、この街にもそんなにいるもんじゃない。俺も陰ながら、もり立ててやりたいと思って、記事はちょっとばかり大袈裟に書いたのさ」
「真実をあなたに」を座右の銘としているヨーコックにしては、珍しいことだった。
「次はスラッティーだ」
私は彼女の家名は避けながら、おおむね知っていることを話した。
「ふうん、ランケン、まあ、そんなところだが、一つ大切な一件が抜けている」
「どうも金持ち連中の世界は、苦手でね」
「そんなことを言ってたんでは、エスパンクに説教はできないぜ」
私は両手を上げて、降参だという仕草をした。
「市の出納次長の娘が行方知れずになっている。キナラサという娘だ。キナラサが〈赤い扉〉に出入りしていたのは誰でも知っている。スラッティーと恋仲だと噂されたこともある女だ」
「今時、女同士、男同士でも、誰も驚かないがね」
「スラッティーは男を煙にまくのも得意だが、近頃は特に女にご執心らしい。キナラサとは深い仲だというもっぱらの噂だった」
〈赤い扉〉で見た青い服の美しい女と口づけをかわす彼女の姿が頭に浮かんだ。愛する男を失った彼女は、色恋に関する宗旨替えを行ったのだろうか。
「〈ジーンカの腕輪〉の一件の骨董商は、出納次長と懇意だ。エイマン王の古物好きで、お偉い奴らは、みんなひび割れた神像や黴臭い古文書に一家言あるような顔しているからな」
「女探偵は出納次長の娘の探索を依頼されていると」
「多分な」
「ふむ、厄介だな」
「厄介な女がお好みなんだろう」
「この世に厄介じゃない女なんているのか」
「俺は知らない」
「俺も知らないな」
ヨーコックと私は曖昧な笑みを浮かべて、渋いマシュウ茶を飲んだ。
