オルトーリア家は、何代か前に王家とも姻戚関係がある古い名門の貴族だ。屋敷の壁を飾る戦旗や剣はクァロニアン帝国時代を遡るものらしい。次の当主はスラーシャの兄が継ぐことが決まっており、妹のスラーシャの嫁ぎ先は、やはり王宮まわりに屋敷を構えるギース侯爵家と決められていた。
これは政略結婚だった。ギース侯爵はクバ＝リーヴレ方面への探検航海で名を成し、エイマン王の覚えよろしく、交易で富も築いていた。オルトーリア侯爵は、先祖の戦勲で近衛隊長という名誉職は持っていても、戦乱の途絶えた世では、あまり役に立つものではなかった。
だが、スラーシャはこの結婚に同意しなかった。ピュローヴという下級貴族の青年と相思相愛だったのだ。強引に結婚を進める父親に抗ったスラーシャはピュローヴと心中を図った。薬を飲んだ上に首を吊ったのだ。
青年は死んだが、スラーシャは一命を取り留めた。ある医師が治療を行ったのだという。医師は、特別な施術を行ったのでしばらくは誰にも会えないという書状を送ってよこした。署名はなく、何者なのか、どこにいるのか、わからなかった。
一月後、突然家に戻ってきたスラーシャは、金と宝石、衣装を持って、出て行った。以来、ほとんど家には帰らず、イヌン川左岸の踊り子と詩人崩れが集まる怪しげな酒場や、紅灯の街クラーシャの「退廃的な」（オルトーリアはそう言った）店に出入りしていると言う。
「娘さんの居所は、まったくつかめないのですか」
「問いただしても、こう言うのだ。『私は一度死んだ身です。幽霊の住処は墓場と決まっていますわ。サンジェリィ中の墓でも暴いてみてはいかがです、お父様』
「退廃的な店に出入りしているという噂が立ってからは、家の者を使って後をつけさせたこともある。君のような職業の男を雇ってみたこともある。だが、ことごとく失敗に終わっている」
「なぜです」
オルトーリア侯爵は、不機嫌そうな低い声で答えた。
「娘をつけているうちに頭がぼんやりとしてきて、見失ったとか、気がつくと路上で寝ていたとか、そんな話ばかりだ。今晩尾行すると言って出て行ったきり帰ってこない者もいた」
「つまり、娘さんは何か尋常ではない手段で尾行者をまき、姿をくらましていると」
「そうだ。儂は魔術なんてものには一切関わりは持ちたくない。だが、これ以上娘の不品行を世にさらすわけにはいかん。それで、君を呼んだのだ」
「娘さんを治療したという医者について、何か手掛かりはないのですか」
オルトーリアはますます不機嫌そうに語った。
「わからん。君のような男を雇って捜させたが、一向にわからなかった」
どうも侯爵様は探偵という言葉がお嫌いなようだ。
「警邏隊には届けなかったのですね」
侯爵は何を馬鹿なことをという顔つきで、私を睨んだ。
「男と心中を図ったというだけで、とんでもない家の恥だ。正体不明の医者のところにいるなどという話を公にできるはずはなかろう！ 娘はこの屋敷で養生しているということにした」
「娘さんの尾行に行って、戻らなかったという探偵は？」
「わからんね。金だけもらって行方をくらませたのかもしれない。どうも軽薄な感じの男だった」
その探偵の名はネルモンだと侯爵は言った。サイク・ネルモンという探偵は、洒落者で軽く見られるが、腕は立つという評判だった。金だけもらって逐電するような奴とは考え難かった。
「一日四十ダズン、他に必要な掛かりを頂きます」
オルトーリア侯爵は灰色の眉の端をぴくりと動かし、疑念を表情に表した。
「ネルモンとかいう探偵は一日百ダズン、それが相場だと言いおった。そんな金でいいのか」
「ご大層なお屋敷なんで、少々ふっかけたんでしょう」
私は試しに笑ってみたが、オルトーリアは口を結んだままにこりともしなかった。
これは政略結婚だった。ギース侯爵はクバ＝リーヴレ方面への探検航海で名を成し、エイマン王の覚えよろしく、交易で富も築いていた。オルトーリア侯爵は、先祖の戦勲で近衛隊長という名誉職は持っていても、戦乱の途絶えた世では、あまり役に立つものではなかった。
だが、スラーシャはこの結婚に同意しなかった。ピュローヴという下級貴族の青年と相思相愛だったのだ。強引に結婚を進める父親に抗ったスラーシャはピュローヴと心中を図った。薬を飲んだ上に首を吊ったのだ。
青年は死んだが、スラーシャは一命を取り留めた。ある医師が治療を行ったのだという。医師は、特別な施術を行ったのでしばらくは誰にも会えないという書状を送ってよこした。署名はなく、何者なのか、どこにいるのか、わからなかった。
一月後、突然家に戻ってきたスラーシャは、金と宝石、衣装を持って、出て行った。以来、ほとんど家には帰らず、イヌン川左岸の踊り子と詩人崩れが集まる怪しげな酒場や、紅灯の街クラーシャの「退廃的な」（オルトーリアはそう言った）店に出入りしていると言う。
「娘さんの居所は、まったくつかめないのですか」
「問いただしても、こう言うのだ。『私は一度死んだ身です。幽霊の住処は墓場と決まっていますわ。サンジェリィ中の墓でも暴いてみてはいかがです、お父様』
「退廃的な店に出入りしているという噂が立ってからは、家の者を使って後をつけさせたこともある。君のような職業の男を雇ってみたこともある。だが、ことごとく失敗に終わっている」
「なぜです」
オルトーリア侯爵は、不機嫌そうな低い声で答えた。
「娘をつけているうちに頭がぼんやりとしてきて、見失ったとか、気がつくと路上で寝ていたとか、そんな話ばかりだ。今晩尾行すると言って出て行ったきり帰ってこない者もいた」
「つまり、娘さんは何か尋常ではない手段で尾行者をまき、姿をくらましていると」
「そうだ。儂は魔術なんてものには一切関わりは持ちたくない。だが、これ以上娘の不品行を世にさらすわけにはいかん。それで、君を呼んだのだ」
「娘さんを治療したという医者について、何か手掛かりはないのですか」
オルトーリアはますます不機嫌そうに語った。
「わからん。君のような男を雇って捜させたが、一向にわからなかった」
どうも侯爵様は探偵という言葉がお嫌いなようだ。
「警邏隊には届けなかったのですね」
侯爵は何を馬鹿なことをという顔つきで、私を睨んだ。
「男と心中を図ったというだけで、とんでもない家の恥だ。正体不明の医者のところにいるなどという話を公にできるはずはなかろう！ 娘はこの屋敷で養生しているということにした」
「娘さんの尾行に行って、戻らなかったという探偵は？」
「わからんね。金だけもらって行方をくらませたのかもしれない。どうも軽薄な感じの男だった」
その探偵の名はネルモンだと侯爵は言った。サイク・ネルモンという探偵は、洒落者で軽く見られるが、腕は立つという評判だった。金だけもらって逐電するような奴とは考え難かった。
「一日四十ダズン、他に必要な掛かりを頂きます」
オルトーリア侯爵は灰色の眉の端をぴくりと動かし、疑念を表情に表した。
「ネルモンとかいう探偵は一日百ダズン、それが相場だと言いおった。そんな金でいいのか」
「ご大層なお屋敷なんで、少々ふっかけたんでしょう」
私は試しに笑ってみたが、オルトーリアは口を結んだままにこりともしなかった。
