捕らえられた暗殺士は、翌日、警邏隊の牢で死んだ。心の臓が突然動かなくなってしまったらしい。自死なのか、仲間による処刑なのかはわからなかった。オルトーリア侯爵を罪に問うことは、警邏隊にはできなくなった。監察医がどうなったのかは、わからなかった。
　私はこの一件について知っていることを、ヨーコックに話した。ヨーコックは一晩で記事を書き上げ、次の日の夜までには、サンジェリィ中の酒場でオルトーリア家の醜聞が話題に上った。ヨーコックは慎重な言い回しで、エスパンクの探索が今回の事件の解決に役立ったことも書いた。私の名前は出さないという約束だった。
　ヨーコックの記事はうまく書けていた。スラッティーは淫蕩な殺人鬼ではなく、家柄や家名などというくだらないものを、人間よりも大切にする貴族という下種どもの犠牲者として描かれていた。私はヨーコックの文才に改めて敬意を抱いた。
　四日ほどたった日の夕刻、青硝子の酒杯にディコンを注いでいると、探偵局の扉を叩く者があった。「どうぞ」と言うと、つばの短い帽子に格子縞の引き回し姿のエスパンクが入ってきた。
「もう、いいのかい」
　エスパンクは扉の前に立ったままで、「ええ」というような曖昧な答えをした。
「引き回しと帽子はそこに掛ければいい。来客用の椅子はわかっているだろう」
　女探偵は、隅の破れた赤い椅子に座った。
「お礼を言いにきたのよ。あんたが助けてくれたって聞いたわ。ありがとう」
「大したことはしていない」
「あたし、キナラサもワイナントーズも助けられなかったわ」
「二人とも君が依頼を受けた時には、もう死んでいた。キナラサの体だけは、あの夜までは生きていたとも言えるが。金貸しの娘は死なずにすんだ。これから死ぬはずだった男女を救うことができた」
　エスパンクは自分の膝のあたりを見たまま「そうね」と小声で言ってうなずいた。
「酒はすすめないよ」
　彼女は少し笑って私の方を見て「あの夜も飲んでないわよ」と言った。
「あんた、あたしの裸を見たの？」
「ああ、きれいだったね。眼福にあずかって、うれしかったよ」
　エスパンクは化粧っ気のない雀斑の浮いた頬を少しばかり赤らめた。
「その姿の方が似合ってるね」
　エスパンクはゆっくり立ち上がって、黒檀の机の角を指先で撫でながら、私の方へ身を寄せてきた。指一本隔てた隣に彼女は立って、私の肩に指を触れた。
「ねえ、あんた……」
　私は酒杯の中のディコンを一口飲んだ。酒の匂いよりも、エスパンクの仄かな甘い匂いの方が気になった。アムアッサの薬の効能はもう消えていた。
「君を抱くと、あの坊やが黙っていないだろう。今日は来ていないのかい。寝首を掻かれるのは嫌だな」
　エスパンクは私の肩に触れていた指を強ばらせ、引っ込めた。
「あたしが誰と寝ようと、あたしの勝手でしょう！」
「僕が誰と寝ようと、僕の勝手だしね」
　エスパンクはいきなり私の頬をひっぱたいた。危うく酒杯を落とすところだった。
「嫌みな男だわ！　あんたなんか、あの牝狐に取り殺されちまえば良かったのよ！」
　女探偵は帽子と引き回しを引ったくるように取ると、扉を軋ませて出ていった。
　頬にはしばらく、熱い痛みが残っていた。私は〈古鴉〉の壜から琥珀色の酒を杯いっぱいに注いだ。頬の痛みを愛おしみながら、私は酒杯を傾けた。