その馬車は風変わりな形をしていた。四輪の小振りのものだが、御者台の後ろには鉄板で囲まれた箱が設えてある。箱といっても只の方形ではなく七角形の小さな堂のような奇妙なもので、側面に小さな扉がついていた。その扉も鉄製で外側から鎖と錠前で厳重に封じられていた。鋲で止められた鉄板には白い絵の具で呪文らしきものが何ヶ所にも書きつけられている。囚人を送り届ける仕事だと聞かされていたが、中にいるのは只者ではなさそうだった。
路銀が尽きかけた私は、アズコックの街でこの仕事を引き受けた。実入りが良く、行き先も向かおうとしていた西の街ラングードで好都合だった。金は前払いで半額、無事到着したなら、残りの半額が支払われることになっていた。
囚人はこのあたりの森に出没する野盗の一味で、頭目かそれに近い者らしかった。一行は十四五人、隊長を務めるアプスタルという男と数名はこの地を治めるゼクセナン大公配下の者だが、それ以外は私同様金で雇われた男たちだった。
ゼクセナンの新しい砦があるラングードへの道は深い緑に囲まれて、かなりの上り下りもあった。馬車の車輪が落ちそうな道幅の箇所もあったが、他の道はさらに細い山道で馬車は通れないらしい。
「大袈裟なもんだな。たかが山賊一人護送するのに鉄の馬車とはな。縛り上げて馬に括りつければいいだろうに」
赤い胴鎧をつけた雇われ者の一人が道の下の急峻な山肌を見下ろして言った。凹みのある兜を被った別の一人が言葉を返す。
「仲間が取り戻しに来るのが怖いんだろう」
「それにしたって、野盗山賊の類いだろう。こうやって俺たちがついてるんだ。そう易々とは奪い返せないだろうに」
小柄な丸い鼻をした男−確かヴォルハンとかいう名前−が言った。
「お前たち、馬車の鉄板を見なかったのか。いや、そもそも白鷲党のことを何も知らんと見えるな」
赤胴の男が幾らかむっとした様子で答えた。
「俺はシャモークからの流れ者だからな、このあたりの揉め事は知らんよ」
「俺はゲティスディルの合戦の生き残りよ。白鷲党なんて名乗っていたって、野武士か山賊がいきがってるだけだろう」
兜の凹んだ男が小馬鹿にするように首を振った。
ヴォルハンは傷だらけの鎧に覆われた肩をすくめ、醒めた笑みを浮かべた。
「お前たち、このあたりで長生きしたいなら、もうちっとものを知らんとな」
それから彼は白鷲党について語った。
「このあたり−キンズエルからラングードへかけての土地−は長らく長手のマヴァックが治めていた。だが、海狸の年のダネルの戦で東から来たゼクセナンの軍勢がマヴァックを打ち破った。瞬く間に版図を広げて今じゃゼクセナンは大公なんぞと名乗っている」
「そんなことは知っている。成り上がりのゼクセナン大公様だろう。俺たちの雇い主様だ」
兜の凹んだ男が口を出したが、ヴォルハンは話を続けた。
「性急な大公は次なる領地を求めて西へと軍を進めたが、戦に勝ったからといって領民が皆素直に従うわけじゃない。マヴァックとその一族は山の民ナーカウの血を引いているって噂だ。山の民とは交易もして、平穏に過ごしてきた。だが、大公は法外な税を取り立て、ナーカウが神聖視する森の木を切り倒して砦を築き、若者を奴隷としてこき使った。マヴァックの残党に大公の支配に不満を抱く者たちがこの山々に根付くナーカウの民と手を結んで白鷲党が生まれたってわけだ」
「そいつら、そんなに厄介なのか」
シャモークから来た男が首のあたりをかきながら言った。
「ナーカウの民なら聞いたことがある。遠い昔から山々に住み、森や山の精霊とも交わりがあるっていう話だろう。山奥で修業して霊力を身につけた者もいるっていうじゃないか」
兜の凹んだ男はそう言いながら自分の言葉をあまり信じてはいないようだった。
「霊力って、どんなことができるんだ」
赤胴の男が訊く。
「翼が生えて木から木へ飛び移るって話だ」
「それならナクシャッツの猿とかいう生き物と同じだろう」
赤胴の男はまわりの木々を見回した。
「猿に翼はあるまい。奴らは夜目が利いて夜の森でも動き回れる。下生えの中を蛇みたいに忍び寄るのも得意だ。並の兵じゃとても太刀打ちできないらしい」
ゲティスディルの生き残りは凹んだ兜の被り具合をなおした。
「それで俺たち百戦錬磨の強者が雇われたってわけか」
シャモークの男が胴鎧を叩いてみせた。
「そりゃあ、違うな。大公は北のレゲニアとの戦に備えて少しでも自分の兵隊を温存したいんだ。こういう仕事は俺たち使い捨ての雇われ者にやらせるのさ」
ヴォルハンは肩をすくめて口を尖らせた。
「じゃあ、あの偉そうな隊長殿も捨て駒か」
凹んだ兜の男は列の前の方で馬に揺られている肩幅の広い男を目顔で指した。隊長は馬上だが、他の兵士たちは皆徒士だった。
小柄な男の声が小さくなった。
「あいつはほら、あれだ。ストンドの合戦で敵の大将を取り逃がしたって話じゃねえか。それで大公の逆鱗に触れて、顔を斬られた。命は助かったが、こういう仕事に回されてるのさ」
「ふむ、それであのご面相か。召し抱えられて俸禄をもらうのも苦労が多いな。俺には向かん」
赤胴の男は自嘲気味に笑った。
「白鷲党は戦場に送る兵糧や武器を奪い取ったり、砦の蔵を襲ったり、馬を逃がしたりして、じわじわと大公に痛手を与えている。この前は密書を持った伝令を襲って、敵方に密書を送り付けたって話だ」
「なかなか、やるじゃねえか」
凹んだ兜の男が疎らに髭の生えた顎をこする。
「ああ、だが、奴らもしくじりはする。この鉄の馬車の中の奴は白鷲党の首魁かそれに近い奴らしい。アズコックでの戦いで捕らえられたって話だ。銀髪のゾルビアッドを知ってるか。大公のお抱え魔道士だ。奴が火炎の術で白鷲党を打ち破ったんだ。その時の捕虜らしい」
「魔道士は俺は虫が好かんな。あいつら何を考えているかわからん。それで、何だってこんな厳重な馬車なんだ」
赤胴の男が言うと、凹み兜の男が当たり前だと言わんばかりに答えた。
「そりゃあ、霊力を使うからだろ」
「わからんな。壁抜けの魔術でも使えるのか」
私は彼らの会話に口を挟んでみた。
「封印の呪文が書きつけられている。その馬車の鉄板が結界になっているんだろう。中の者が我々を操って殺し合いとかさせないためか、あるいは遠感の術でお仲間を呼び寄せないようにするためか」
ヴォルハンが私の方を見てにやにやと笑った。
「ほほう、ものを知ってるじゃねえか。ランケンとかいったな。親戚に呪医でもいるのか。そうさ、銀髪のゾルビアッドが魔術で霊力を封印したに違えねえ」
「そういう血筋はないがね。その手の輩にはなぜか好かれる質なのさ」
赤胴の男が魔除けのつもりなのか、顔の前で何かの印を結んだ。
「おいおい、縁起でもねえな。もうこの峠を越えれば、ラングードまで一日だろう。白鷲党だか何だか知らねえが、大公様にお届けして、ぱあっとやろうってのに。ラングードには大公の軍勢についてきた女たちもいるらしいぜ。おこぼれに預かりたいもんだ」
残念ながら彼の望みは叶えられなかった。何かが彼の首筋を斬り裂いて、鮮血を噴き出させたからだ。魔除けの印は刃には役に立たなかった。
「敵襲、敵襲だ」
一瞬の間を置いて誰かが叫んだが、そのわずかな間にもう一人が血を噴いて倒れた。唸るように空気を裂く音がして、私はその場に転がって死から逃れた。小振りの短剣らしきものが弧を描いて飛んでいくのが見えた。
また空気を裂く音がした。すぐ近くにいた兵士の胴鎧に矢が突き立ち、彼は立ち木に磔になって死んだ。
「馬車を守れ、囚人を奪われたら褒美は出んぞ」
アプスタル隊長が叫んだが粗方の兵士は飛んでくる短剣や矢をかわすのに精一杯だった。私は朽ち葉に覆われた地べたを這いずって、馬車の方に近づいた。一イート（約三十センチ）も離れていない地面に矢が突き刺さる。
木立の間から光るものが飛んでくるのが見えた。投剣だ。凹んだ兜の男が首をすくめてかろうじて刃をかわした。彼は馬車の影に転がり込もうとした。だが、凹んだ兜をかすめた刃は空中で弧を描き、彼の喉笛に突き刺さった。ゲティスディルの戦の生き残りはここでは生き長らえることはできなかった。
投げた者の手元に戻ってくる奇妙な武器を南方で見たことはあったが、それとは違うものに見えた。紐がついているわけでもない。投じられた短剣は見えない力でその動きを操られているかのようだった。
馬車のまわりには隊長と数名の兵士が陣取っていた。私は車輪の影に転がり込んだ。
「馬鹿者、立って戦え」
隊長は怒鳴ったが、次の瞬間、短剣がその頬をかすめた。アプスタルは血の滴る頬を押さえて、私の隣に屈みこんだ。
「勇ましさだけじゃ太刀打ちできないこともあるさ」
私の言葉に隊長は黒い髭に縁取られた顔をしかめた。額から眉間を通り頬にまで達する刀傷が歪む。
「くそ、これでは大公様に顔向けができん。これ以上しくじりを重ねたら……」
「逃げて他所に行けばいいのさ。命あっての物種って言うだろう」
梢が揺れるざあっという音がした。頭上から焦茶や深緑の腰布をまとった者たちが襲いかかってくる。体や頭に葉のついた木の枝を付けている者もいた。奇妙な斑模様の入墨かあるいは絵の具で描かれたものが顔や体を覆っている。数は十、二十、いやもっといるようだ。これが白鷲党、いやナーカウの民なのか。
襲撃者たちは反りのある山刀や斧を手に護送隊の男たちを斬り倒した。刃から逃れると、どこからか短剣が唸りをあげて飛んできて喉笛を斬り裂き、矢が体を刺し貫く。
たちまち、あたりには骸がごろごろと転がることとなった。残っているのは馬車の陰に隠れたほんの数名のようだった。ヴォルハンはすでに骸となったのか、姿が見えなかった。
隊長と私は顔を見合わせた。今ならかろうじて、崖下に逃れることもできるかもしれない。私たちは息を合わせたように、馬車の陰から這い出して、山道の下の斜面に向かった。弓矢の唸る音、投剣が飛んでくる空気を裂く音がした。
私たちは道の端から急な斜面に身を投じた。木々と下生え、突き出した岩が体のあちこちを打ち続けた。上の方から襲撃者たちの声が聞こえたが、すぐにそれはどこから聞こえているのかわからなくなった。緑と茶色と黄色が目の前でぐるぐる回り、何もわからなくなった。
路銀が尽きかけた私は、アズコックの街でこの仕事を引き受けた。実入りが良く、行き先も向かおうとしていた西の街ラングードで好都合だった。金は前払いで半額、無事到着したなら、残りの半額が支払われることになっていた。
囚人はこのあたりの森に出没する野盗の一味で、頭目かそれに近い者らしかった。一行は十四五人、隊長を務めるアプスタルという男と数名はこの地を治めるゼクセナン大公配下の者だが、それ以外は私同様金で雇われた男たちだった。
ゼクセナンの新しい砦があるラングードへの道は深い緑に囲まれて、かなりの上り下りもあった。馬車の車輪が落ちそうな道幅の箇所もあったが、他の道はさらに細い山道で馬車は通れないらしい。
「大袈裟なもんだな。たかが山賊一人護送するのに鉄の馬車とはな。縛り上げて馬に括りつければいいだろうに」
赤い胴鎧をつけた雇われ者の一人が道の下の急峻な山肌を見下ろして言った。凹みのある兜を被った別の一人が言葉を返す。
「仲間が取り戻しに来るのが怖いんだろう」
「それにしたって、野盗山賊の類いだろう。こうやって俺たちがついてるんだ。そう易々とは奪い返せないだろうに」
小柄な丸い鼻をした男−確かヴォルハンとかいう名前−が言った。
「お前たち、馬車の鉄板を見なかったのか。いや、そもそも白鷲党のことを何も知らんと見えるな」
赤胴の男が幾らかむっとした様子で答えた。
「俺はシャモークからの流れ者だからな、このあたりの揉め事は知らんよ」
「俺はゲティスディルの合戦の生き残りよ。白鷲党なんて名乗っていたって、野武士か山賊がいきがってるだけだろう」
兜の凹んだ男が小馬鹿にするように首を振った。
ヴォルハンは傷だらけの鎧に覆われた肩をすくめ、醒めた笑みを浮かべた。
「お前たち、このあたりで長生きしたいなら、もうちっとものを知らんとな」
それから彼は白鷲党について語った。
「このあたり−キンズエルからラングードへかけての土地−は長らく長手のマヴァックが治めていた。だが、海狸の年のダネルの戦で東から来たゼクセナンの軍勢がマヴァックを打ち破った。瞬く間に版図を広げて今じゃゼクセナンは大公なんぞと名乗っている」
「そんなことは知っている。成り上がりのゼクセナン大公様だろう。俺たちの雇い主様だ」
兜の凹んだ男が口を出したが、ヴォルハンは話を続けた。
「性急な大公は次なる領地を求めて西へと軍を進めたが、戦に勝ったからといって領民が皆素直に従うわけじゃない。マヴァックとその一族は山の民ナーカウの血を引いているって噂だ。山の民とは交易もして、平穏に過ごしてきた。だが、大公は法外な税を取り立て、ナーカウが神聖視する森の木を切り倒して砦を築き、若者を奴隷としてこき使った。マヴァックの残党に大公の支配に不満を抱く者たちがこの山々に根付くナーカウの民と手を結んで白鷲党が生まれたってわけだ」
「そいつら、そんなに厄介なのか」
シャモークから来た男が首のあたりをかきながら言った。
「ナーカウの民なら聞いたことがある。遠い昔から山々に住み、森や山の精霊とも交わりがあるっていう話だろう。山奥で修業して霊力を身につけた者もいるっていうじゃないか」
兜の凹んだ男はそう言いながら自分の言葉をあまり信じてはいないようだった。
「霊力って、どんなことができるんだ」
赤胴の男が訊く。
「翼が生えて木から木へ飛び移るって話だ」
「それならナクシャッツの猿とかいう生き物と同じだろう」
赤胴の男はまわりの木々を見回した。
「猿に翼はあるまい。奴らは夜目が利いて夜の森でも動き回れる。下生えの中を蛇みたいに忍び寄るのも得意だ。並の兵じゃとても太刀打ちできないらしい」
ゲティスディルの生き残りは凹んだ兜の被り具合をなおした。
「それで俺たち百戦錬磨の強者が雇われたってわけか」
シャモークの男が胴鎧を叩いてみせた。
「そりゃあ、違うな。大公は北のレゲニアとの戦に備えて少しでも自分の兵隊を温存したいんだ。こういう仕事は俺たち使い捨ての雇われ者にやらせるのさ」
ヴォルハンは肩をすくめて口を尖らせた。
「じゃあ、あの偉そうな隊長殿も捨て駒か」
凹んだ兜の男は列の前の方で馬に揺られている肩幅の広い男を目顔で指した。隊長は馬上だが、他の兵士たちは皆徒士だった。
小柄な男の声が小さくなった。
「あいつはほら、あれだ。ストンドの合戦で敵の大将を取り逃がしたって話じゃねえか。それで大公の逆鱗に触れて、顔を斬られた。命は助かったが、こういう仕事に回されてるのさ」
「ふむ、それであのご面相か。召し抱えられて俸禄をもらうのも苦労が多いな。俺には向かん」
赤胴の男は自嘲気味に笑った。
「白鷲党は戦場に送る兵糧や武器を奪い取ったり、砦の蔵を襲ったり、馬を逃がしたりして、じわじわと大公に痛手を与えている。この前は密書を持った伝令を襲って、敵方に密書を送り付けたって話だ」
「なかなか、やるじゃねえか」
凹んだ兜の男が疎らに髭の生えた顎をこする。
「ああ、だが、奴らもしくじりはする。この鉄の馬車の中の奴は白鷲党の首魁かそれに近い奴らしい。アズコックでの戦いで捕らえられたって話だ。銀髪のゾルビアッドを知ってるか。大公のお抱え魔道士だ。奴が火炎の術で白鷲党を打ち破ったんだ。その時の捕虜らしい」
「魔道士は俺は虫が好かんな。あいつら何を考えているかわからん。それで、何だってこんな厳重な馬車なんだ」
赤胴の男が言うと、凹み兜の男が当たり前だと言わんばかりに答えた。
「そりゃあ、霊力を使うからだろ」
「わからんな。壁抜けの魔術でも使えるのか」
私は彼らの会話に口を挟んでみた。
「封印の呪文が書きつけられている。その馬車の鉄板が結界になっているんだろう。中の者が我々を操って殺し合いとかさせないためか、あるいは遠感の術でお仲間を呼び寄せないようにするためか」
ヴォルハンが私の方を見てにやにやと笑った。
「ほほう、ものを知ってるじゃねえか。ランケンとかいったな。親戚に呪医でもいるのか。そうさ、銀髪のゾルビアッドが魔術で霊力を封印したに違えねえ」
「そういう血筋はないがね。その手の輩にはなぜか好かれる質なのさ」
赤胴の男が魔除けのつもりなのか、顔の前で何かの印を結んだ。
「おいおい、縁起でもねえな。もうこの峠を越えれば、ラングードまで一日だろう。白鷲党だか何だか知らねえが、大公様にお届けして、ぱあっとやろうってのに。ラングードには大公の軍勢についてきた女たちもいるらしいぜ。おこぼれに預かりたいもんだ」
残念ながら彼の望みは叶えられなかった。何かが彼の首筋を斬り裂いて、鮮血を噴き出させたからだ。魔除けの印は刃には役に立たなかった。
「敵襲、敵襲だ」
一瞬の間を置いて誰かが叫んだが、そのわずかな間にもう一人が血を噴いて倒れた。唸るように空気を裂く音がして、私はその場に転がって死から逃れた。小振りの短剣らしきものが弧を描いて飛んでいくのが見えた。
また空気を裂く音がした。すぐ近くにいた兵士の胴鎧に矢が突き立ち、彼は立ち木に磔になって死んだ。
「馬車を守れ、囚人を奪われたら褒美は出んぞ」
アプスタル隊長が叫んだが粗方の兵士は飛んでくる短剣や矢をかわすのに精一杯だった。私は朽ち葉に覆われた地べたを這いずって、馬車の方に近づいた。一イート（約三十センチ）も離れていない地面に矢が突き刺さる。
木立の間から光るものが飛んでくるのが見えた。投剣だ。凹んだ兜の男が首をすくめてかろうじて刃をかわした。彼は馬車の影に転がり込もうとした。だが、凹んだ兜をかすめた刃は空中で弧を描き、彼の喉笛に突き刺さった。ゲティスディルの戦の生き残りはここでは生き長らえることはできなかった。
投げた者の手元に戻ってくる奇妙な武器を南方で見たことはあったが、それとは違うものに見えた。紐がついているわけでもない。投じられた短剣は見えない力でその動きを操られているかのようだった。
馬車のまわりには隊長と数名の兵士が陣取っていた。私は車輪の影に転がり込んだ。
「馬鹿者、立って戦え」
隊長は怒鳴ったが、次の瞬間、短剣がその頬をかすめた。アプスタルは血の滴る頬を押さえて、私の隣に屈みこんだ。
「勇ましさだけじゃ太刀打ちできないこともあるさ」
私の言葉に隊長は黒い髭に縁取られた顔をしかめた。額から眉間を通り頬にまで達する刀傷が歪む。
「くそ、これでは大公様に顔向けができん。これ以上しくじりを重ねたら……」
「逃げて他所に行けばいいのさ。命あっての物種って言うだろう」
梢が揺れるざあっという音がした。頭上から焦茶や深緑の腰布をまとった者たちが襲いかかってくる。体や頭に葉のついた木の枝を付けている者もいた。奇妙な斑模様の入墨かあるいは絵の具で描かれたものが顔や体を覆っている。数は十、二十、いやもっといるようだ。これが白鷲党、いやナーカウの民なのか。
襲撃者たちは反りのある山刀や斧を手に護送隊の男たちを斬り倒した。刃から逃れると、どこからか短剣が唸りをあげて飛んできて喉笛を斬り裂き、矢が体を刺し貫く。
たちまち、あたりには骸がごろごろと転がることとなった。残っているのは馬車の陰に隠れたほんの数名のようだった。ヴォルハンはすでに骸となったのか、姿が見えなかった。
隊長と私は顔を見合わせた。今ならかろうじて、崖下に逃れることもできるかもしれない。私たちは息を合わせたように、馬車の陰から這い出して、山道の下の斜面に向かった。弓矢の唸る音、投剣が飛んでくる空気を裂く音がした。
私たちは道の端から急な斜面に身を投じた。木々と下生え、突き出した岩が体のあちこちを打ち続けた。上の方から襲撃者たちの声が聞こえたが、すぐにそれはどこから聞こえているのかわからなくなった。緑と茶色と黄色が目の前でぐるぐる回り、何もわからなくなった。
