「よーし、今日はカッシュマーの街で泊まりだ。少しばかり骨休みができるぞ！だが、気を抜くなよ！奴らはいつ襲ってくるかわからんのだからな！」
　隊長の声が土埃にまみれた隊列に響いた。名前はケルクスラドジァドボルジェクーゼンという。この奇妙な隊商の警護の長ではあったが、隊長というわけではない。だが、皆彼のことを隊長と呼んでいたし、私も彼の長い名前を間違えずに呼ぶ苦労をする気もなかった。
　隊商はサンジェリィへと南に白銀街道を下っていた。何事もなければ後二日の行程だろう。街道は交易に熱心なエイマン王の肝煎りできれいに整えられていたが、王とは言え岩と砂の荒れ地を沃野に変えることは出来なかった。
　砂まじりの乾いた風が吹き抜ける奇妙な形の岩山の間を、縫うように隊商は進んでいた。至って小規模な隊列だ。大事な品物を運ぶための幌付き荷馬車が二台、大事な人間を運ぶための大振りの四頭立てが一台、それほど大事でない人間を運ぶためにもう一台、これを守るために四十騎ほどが前衛、後衛についている。ケルクスラドジァドボルジェクーゼンが率いる傭兵＜白狼隊＞だ。
　いったい、どんな大事な品物を運んでいるのか、どんな大事な人間が馬車に乗っているのか、一切は明かされなかった。街道沿いに山賊盗賊の類が出没するのは、エイマン王の威光と警邏隊の取り締まりを持ってしても、根絶することはできなかったが、それにしても大袈裟な警護のように私には思われた。
「スナブ・ランケン、金砂亭のスベルコ料理はうまいぞ！メクサーラもな！おまえの世界放浪の話も聞かせてくれ！」
　隊長が銀色に輝く兜の虹色の羽飾りを揺らして怒鳴った。日に焼けた精悍な顔の中で、ぴんと張って先端が渦を巻いた口髭だけが笑っているようだった。
「虫が入っているやつは、勘弁してくれ。ちょっと、嫌な思い出があるんだ」
「その思い出とやらも聞きたいもんだ！楽しみにしているぞ！」
　隊長はさらなる下知のため、隊列の後方へ去った。計算高いが仕事はきっちりとこなす、傭兵隊長としては信頼できる男だった。
　私はすぐ前を行く四頭立ての馬車を見やった。砂埃にまみれて薄黄色の面紗を被ったように見えるが、艶のある黒塗りに金銀で飾り模様が描かれ、螺鈿細工も施された特別仕立ての馬車だ。窓には緋色の窓掛が下ろされ、中を伺うことは出来ない。
　ホライウォードの遺跡─巨大な、しかし奇妙に安普請にも見える、神殿ともただの蔵とも思える石造りのがらんどう─からサンジェリィへ、大切な品物を運ぶ護衛という仕事を引き受けたのは、十日程前のことだった。
　私の聞かされた話はこうだ。サンジェリィのある宝石商が、ホライウォードの遺跡から発見された宝物をエイマン王へ献上したいと考えている。しかし、道中は近頃盗賊が出没し、しかもこの盗賊団には奇怪な妖術使いや魔剣の使い手までいる。そこで、怪異な事件を幾度も解決しているというスナブ・ランケン殿の御力を是が非でも拝借したい。地味だが仕立ての良い焦げ茶色の服を着た男がやってきて、馬鹿丁寧な口調でそう言ったのだ。
　私はこういった依頼があった時のためのお決まりの台詞で答えた。確かに奇怪な事件には幾度も遭遇しているが、必ずしも解決しているわけではない。むしろ、不可解なまま終わることの方が多いくらいだ。過剰な期待を持たれても困る。
　焦げ茶色の服の男は、それでも是が非でもお願いしたいと言い、用意しているという報酬について述べた。一日四十ダズン、それと必要な掛かりを頂くというのが、私の決まりの額だが、彼の示した報酬はそれよりも一桁多い額だった。
　クーリカフ街の私の住処兼仕事場は、あちらこちらにがたが来ていて、大工を入れる必要があった。金のためなら何でも引き受けるわけではないし、こうした話には当然裏があることもわかっていたが、借金はしないというのも、私の決まり事の一つだった。
　私は焦茶色の服の男─アブリュード宝石商会から来た─にこの仕事を引き受けることを伝えた。
「必ずや引き受けてくださると信じておりました。＜勝者の門＞に足の速い馬を用意してございます」
　男は非の打ち所のない笑顔を浮かべ、手付金を懐から取り出した。その金で旅支度を整え、今日にも出立してほしいということだった。私はその通りにして、四日後にはホライウォードの遺跡に到着し、一行と合流した。
　大事な荷物を積んでいるらしい幌馬車は主に隊長率いる傭兵隊が護り、私はこの隊の主人が乗っているらしい黒塗りの馬車に付くように言われた。
　ケルクスラドジァドボルジェクーゼンは遺跡を出立前の夜、奇妙に大規模な護衛隊に向かって端的に仕事についての話をした。
「よく聞け！我々の仕事はこの遺跡から掘り出された宝物を無事サンジェリィまで届けることにある。宝物は緑玉の彫像だ。アブリュード宝石商会ではこの宝物をエイマン王への捧げものとするつもりで、既に王宮には類い稀なる献上品が向かっているという知らせが届いている。エイマン王の古物に対する愛着の深さは巷間知れ渡るところだ。無事送り届けることが出来れば、雇い主より特別の報償が約束されている。王の御機嫌が麗しければ、さらなる手当がないとも限らん！
「よく聞け！これは＜良い仕事＞だ。だが、大輪の花を得るためには、その前に茨の叢を通り抜けなければならない。白銀街道沿いに出没する野盗どもについては、おまえたちも知っているだろうが、＜紫電の犬＞が我らの宝物を狙っているという知らせがあった。奴らは犬などと名乗っているが、そこいらの痩せ犬のような盗賊どもとは違う。東部から来た魔道士に、奇怪な魔剣の使い手までいるという。
「だが、恐るるには足らん！我らは百戦錬磨の強か者だ。おまけに今回は大都サンジェリィで高名な魔道探偵スナブ・ランケンが仲間に加わっている！我らの前には成功と悦楽が横たわっている！五日後には大都の酒場には我らの笑い声が轟き、娼館には女の呻き声が渦巻いているはずだ！」
　傭兵たちはお定まりの雄々しい叫びと豪快な笑い声をあげた。
　サンジェリィへの道は何事もなく始まり、何事もなく数日が過ぎた。街道を行き交う人々の間には盗賊出没の噂もなく、隊商は平穏に目的地へと向かっていた。隊長は用心深く、本道へ戻り宿場町に泊まることもあれば、間道からも外れ、荒れ地の中で一泊することもあった。
　黒塗りの馬車の中の人物は決して姿を現さなかった。宿場に泊まる時には、宿屋の前に馬車を寄せ、荒れ地に泊まる時には馬車のすぐ前に大きな天幕が張られた。
　だが、噂というものは髪の毛一筋の隙間からも流れ出してくる。私が聞いた最初の噂は、この隊商の主人は女だというものだった。曰く、馬車の紗幕の中から聞こえてきた下知の声はうら若い女のものだった、黒い服に身を包んだ美しい女の姿を見た、ホライウォードの遺跡発掘の指揮もその女が執っていた等々。
　次に聞いた噂は、その女主人が誰なのかというものだった。曰く、アイトーネ街で一番の大富豪の娘である、エイマン王が新しく迎える異国の寵姫である、いや実は恐ろしい女魔道士である等々。
　噂は馬車の中の人物に関してだけではなかった。＜紫電の犬＞の魔道士は雷を自在に操る妖術の使い手である、東部から来た剣士の振るう剣は殺した相手の血を吸う生きた魔剣である、また、ホライウォードの遺跡から出たという宝物も実は某かの魔力を持つ品物で、＜紫電の犬＞はその怪しの力を手に入れるために、宝物を狙うという話もあった。
　魔剣なら私も持っていた。三千年前に海中に没したという西海の果ての国ファバーンの文字が刻まれた魔剣だ。歳月がほとんどの魔力を奪い去っていたが、異界の力が働く場所では、奇妙なしびれにも似た感覚を伝えることもある。だが、今回の旅の途上では未だそうしたことは起こっていなかった。
　敵の姿は見えず、噂が噂ではないことを示すような事も起こらなかった。私は二日目の夜、黒塗りの馬車から大天幕に主人が移る時に、甘い香水の匂いを嗅いだような気がしていた。だが、香水をつけるのは女とは限らない。金と権力を持った手合いは、その腐った臭いを隠すために男女を問わず、香水をつけたがる。
　隊商は何事もなくカッシュマーの街に入った。荒野の岩山の彼方に沈む夕日が、恐ろしいほど美しく、朱の色に馬も人も馬車も染め上げていた。街の門を潜り金砂亭なる宿で宿泊の準備をしている内に、金色の光は去り、空は深い青紫色へと変じていった。夕星が西の空で鋭い光を放っていた。