「あの花は？」
　『アトスの店』の二階は春の温もりと妖しげな香りに満ちていた。ミューツィーは寝台の上で身をひねって、枕元の棚に置かれた花瓶に視線を走らせた。
「あの人が、昨日花屋で買ってきたのよ。店にちょっと飾ってみたいって。クーリカフ街のどこかのって言ってたから、あなたの家の近くじゃない。きれいだし、匂いがいいわ」
　私は大輪の美しい花をもう一度眺めた。ラグラン焼きの薄茶色の花瓶に、真紅の密林の花が生けられている。一輪が広げた掌ほどもある大きな花が三つ、赤に青紫と黄緑色の筋と斑が入った花びらをいっぱいに広げている。花びらの縁は折り曲がった襞状になっており、中央からは黄色い大きな雌蕊が飛び出し、その周囲に糸のように細い雄蕊が絡みついている。まだ咲いていない蕾もひとつあった
「何て花か知ってる？」
「知らない。あの人も知らないみたいだったわ。ただ、珍しいからって」
「そう」
「ランケンは知ってるの？」
「いや、誰かに送るときのために聞いたのさ」
　私はその花を知っていた。はるか南、密林王国ナクシャッツに産するエレスデという名の花だ。森の魔法医者はすり潰した後、聞き取れない呪文を施して強力な媚薬を作る。香りだけでも軽い催淫剤の効用がある。
「人の寝床で言う台詞じゃないわ。相変らずね」
　ミューツィーはエレスデの花と同じくらい赤い唇を尖らせてみせた。そういう表情になると、初めて会った頃から幾らも年月は過ぎていないような気分がしてくる。変わったことと言えば、彼女にはシェペッドという名の優しい亭主が出来たということくらいだろう。
「君はどうなの？」
「どうって、何が？」
「相変らずかってこと」
「少し変わったわ」
　明るい茶色の目を細くして、彼女はちょっとずるそうに笑った。
「試してみたい」
　私は彼女の首に手を回し、栗色の髪に手を突っ込んだ。
「気障な言い方」
「台詞はこれでおしまい」
　私はミューツィーの柔らかい唇にくちづけた。薄い赤の上衣の釦に手をかける。釦は張りつめた乳房に弾かれるように外れる。しばらくぶりに拝む彼女の乳房はひと回り豊かになったようだった。揉みしだくと、掌から肉が溢れる。歓喜の声が白い喉から洩れだす。
　起き上がり、自分も服を脱いだ。側の椅子に服を放り投げると、花が揺れた。シェペッドの赤い鼻と人の良い笑顔が頭をかすめた。彼がこの花のことを知っているはずはない。少々気の毒な気がしたが、寝床のすでに汗ばんでいるミューツィーの肉が、私のささやかな良心を吹き飛ばした。
　確かにミューツィーは少し変わっていた。
　以前にも増して、激しく、大胆で、淫らだった。エレスデの香りも効いているのだろうが、私はシェペッドに軽い嫉妬を感じた。

　行為を終えて、ミューツィーの肩を抱いて横たわっていると、視界の隅で花が微かに揺れていた。少しだけ開けた窓から生暖かい春の風が吹き込んでいる。風に乗って、花の香りが枕元に降りてくる。
　私は一物が再び硬くなるのを感じた。半ば無意識に、肉のついた肩を抱いた手に力が入る。
　半イートのところにあるミューツィーの鳶色の瞳と視線が合う。少し赤くなった目がうなずく。
　二度目の行為はさらに激しく、汗と唾液と淫水に私たちはまみれて、肉をからませ合った。

「寒いわ、ランケン」
　ちっとも寒くはなかったが、私は窓を閉めた。
「風邪でも引いた？」
「もっと悪い病気」
　ミューツィーは小さなあくびをしながら囁いた。
「恋の病よ」
「そいつは生まれつきの病じゃないのかい？」
「ばか」
　私はミューツィーの白い二の腕に唇を這わせた。
　私たちは深い満足と疲労の内に眠り込んだ。

　目が覚めると、部屋には傾きかけた陽が朱金の光を注ぎ込んでいた。
　ミューツィーは寝床の上に膝を立て、エレスデの花に顔を付けて、香りをかいでいた。先刻までは蕾だった一輪も開きかけ、いっそう妖しい香りを振り撒いていた。
　頭から腰まで、重いものが張りついているようだった。視界がぼやけているような気もする。
「そろそろ帰るよ。旦那も帰る頃だろう」
「まだ、いいじゃない」
　ミューツィーは立て膝で私の上に股がった。見上げると、張り出した乳房がいっそう大きく見えた。覆い被さるように、彼女の唇が、私の唇を塞ぐ。今にも蕩けそうな暖かくぬめる舌と唇と甘い唾が、私の乾いた口の中に進入してくる。
「まだ……いいわよ」
　彼女が唇を離すとよだれがひと雫滴り落ちた。
　そのまま、彼女は私の下腹まで唇を這わせ、一物をくわえた。柔らかな舌が蠢き、私に欲望への活力を与える。ミューツィーは私の股間で頭を激しく上下させる。品なく食べ物をすするような音が聞こえる。
「どうか…してる……花のせいかな…」
　私はミューツィーの頭をつかみ、股間から引き離した。
　彼女は私の上に乗ったまま、花瓶に手をのばして、一輪引き千切った。
「あなたも、もっとかぐといいのよ。こんな花くらい……」
　彼女は花を私の鼻にむりやり押しつけた。むせかえるような甘い香りが鼻から脳味噌にまで達するような気がした。香りをかぐくらいなら、癖になることもなく安全な媚薬のはずだったが、どうもそうではないのかも知れない。花びらの向こうのミューツィーの顔は、少しだけ怒っているようだった。
　彼女は私の髪をつかみ、腰を前にずらせた。花は、私の鼻と彼女の恥丘の間で潰れ、いっそう濃い匂いを放った。その花の香りと、ミューツィーの肉華の香りが渾然となって私の頭をしびれさせ、一物を奮い立たせた。
　私は押しつけられた彼女の秘苑に舌を這わせた。成熟した厚い肉の襞が栓が抜けたように蜜を溢れさせ、私の息を詰まらせようとする。私は必死で彼女の花蜜をすすり、雛先を舌で転がし、息が詰まる前に彼女を昇天させようとする。
　ミューツィーは片手で私の髪をつかみ、片手で自分の乳房を握り締め、獣のような声をあげ続ける。揺れ動く彼女の姿は、夕陽を浴びて朱色に染まるが、どこからか他の色彩が侵入してくる。乳房は青緑と黄色、橙の斑模様になり、肉のついた臍のまわりには紫と藍色と紅の渦巻きが現われる。眼前の繁茂は鮮やかな黄緑と空色、金と赤銅色の光を撒き散らす。
　一際強く快楽の中心を吸うと、ミューツィーは弓なりに体を反らし、短い悲鳴のような声をあげ、全身をがくがくと震わせた。そのまま、仰向けに私の腰の上に倒れる。内腿の痙攣が私の腹を震わせる。
　私は上半身を起こし、彼女の肩を抱き上げるとくちづけした。舌をからませ互いの口の中を犯しあう。私の口についた彼女の淫水と、二人の唾がいっしょになって流れる。
　彼女の体だけでなく、部屋の中もあらゆる色彩をぶちまけたかのようだった。天井は目の覚めるような桃色に青と緑の帯が走り、窓から差す夕陽は虹色にまばゆく輝いている。部屋の形そのものが方形ではなく、ねじ曲がり歪み、変形し続ける。ミューツィーの荒い息が巨人のふいごのように、耳に響き渡る。自分の息はその上に虫の声のようにか細く乗って、流れる。
　そのまま、彼女の腰を持ち上げ、私は一物を深く突き入れた。髪を振り乱しミューツィーが喜悦の声をあげる。七色に光って、汗が飛び散る。まるで、彼女の声そのものに色がついて、赤く熟れた唇から吹き出すようだ。
　私たちは完壁に韻律をあわせて、腰を動かした。彼女の肉壷は熱く煮えたぎる汁を絶え間なく吐き出し、私のものを締めつけ、子宮の中にまで吸い込むかのようだった。流れる汗が二人の肌と肌の隙間を埋め、ぴったりと張りつけた。
　ミューツィーの爪が背中に食い込む。肩口に吸いついていた唇が、強く私の肉を噛んだ。尻を持ち上げるように大きく腰を揺らせて、一突きを入れる。私の快楽は彼女の胎内に爆発して果てた。
　私たちはしばしの間、力なく互いの体をつなげたまま、じっとしていた。私のものは彼女の肉の中で、まだ硬さを残したままでいた。ミューツィーが身をよじり、柔かくて複雑な刺激を与える。途端に私のものは力を取り戻したが、体の方の奇妙なだるさが抜けない。
「ねえ、もう一度……ね」
　私は半ば朦朧とした意識で生返事をした。ミューツィーが体を私に預けてくる。そのまま私は仰向けに倒れ、彼女はつながったまま、私の上に馬乗りになった。彼女の重みで、私の一物は深々と中に押し入り、子宮をこじ開けようとする。
　ミューツィーは、大きく口を開き、唇を捲れ上げさせ、よだれを滴らせながら、私の下腹を軸にして、恍惚の踊りを踊る。私は機械仕掛けになったように、彼女の律動に合わせて、腰を突き上げるが、速さと激しさについていけない。思考は麻癖し、体は信じ難いほどの快感に痙攣する。あらゆる色彩が視界のすべてを覆って、暴発した花火のように荒れ狂い、耳には雷のような鼓動とあえぐ声が、幾重にも共鳴して官能の大聖堂が築かれる。彼女の肌と私の肌は互いの体液で溶け合い、融合し、快楽の堝の中で沸騰した。

「ミューツィー、今、帰ったよ」
　通りの方から声が聞こえる。甲高い男の声が、不可思議な熱病に冒された頭に冷水を浴びせる。万華鏡のような色彩の渦が少しだけ動きを止める。
「おーい、ミューツィー、俺だよ。シェペッドだよ。開けておくれ」
　心の中の不安の種が、ぱちんと開き、理性の風を吹かせる。虹色だった部屋に、最後の残照と墨色の夕闇が、流れ込んでくる。
　私の上でミューツィーは狂ったように身を動かし続ける。腰を振る度に、乳房が大きく揺れる。結びついたところからは水がはねるような音が聞こえる。
「ミューツィー、旦那のお帰りだ。ミューツィー、シェペッドが帰ってきた」
　ミューツィーは私の言葉にも耳を貸そうとしなかった。何も聞こえていないのか、忘我の表情で、身を激しくくねらせ続ける。
「ミューツィー、ミューツィー！」
　私の感覚は、ほぼ正常に戻ってきた。橙色の残光が汗に濡れたミューツィーの豊かな裸身を、照らす。
　朱に染まった肌に、見慣れぬ筋が走っている。緑色の細い紐か糸のようなものが、幾本もからみついている。
「ミューツィー！」
　私は彼女の腕をつかみ、揺さぶった。握ったところにもからみついていた緑色のそれは、虫のようにぴくりと蠢いた。
　緑の蔓状のものは、宙に奇妙な曲線を描きながら、枕元の棚につながっていた。
　残っていたひとつの蕾が、咲いている。一際大きな真紅の花びらを広げたそれは、普通のエレスデの花とはどことなく異なっているようだった。
　花びらは肉が厚く、襞はより淫らがましく、くねっている。その赤は、熟れ過ぎ、爛れたかのように深く沈んでいる。花芯からは透明で濃厚な蜜が溢れ滴り落ち、蔓状のものはその花の真ん中から、のびていた。
「ミューツィー！目を覚ませ！」
　激しく揺さぶるが、返って来るのは、鳴咽のような喜悦の声だけだった。
　私は力を振り絞って、身を起こそうとした。体は鉛のように重く、腕も足も泥で出来ているようだった。のし掛かり、痙攣するように肉を揺らすミューツイーを、何とか引き離し、仰向けに倒した。
　泥沼から沓を引き抜くような音がして、一物が彼女の肉の穴から抜けた。痛いほど硬くなっている私のそれは、柔らかく湿ったところから抜け出るのを嫌がるように頭を揺らせた。
　私は転げ落ちるように寝台から降り、花弁からのびている蔓をぐいと引っ張った。それは少しばかり粘ついた感触があり、掌に痛みともしびれともつかない感覚を与えた。
　花瓶が倒れ、床に落ちて割れた。中からは子供の拳ほどの歪な球根のようなものが現われた。毒々しい紫と黄色と焦げ茶色が入り混じったそれは、まるで心の臓のように脈打っている。
　私は手にした蔓状のものを引き千切った。黄緑色の膿のようなものが吹き出した。球根状のものは、痛みを感じたかのようにびくりと動き、鼓動が不規則になっていく。
　素足でそれを踏みつける勇気は私にはなかった。素っ裸に沓だけという滑稽な恰好で、私はその奇怪な植物を踏み潰した。黄緑に赤も混じった汚液を飛び散らせて、それは動かなくなった。
　ミューツィーの体に巻き付いていた蔓は、急激に生気を失くし萎びていった。私はそれを注意深く彼女から取り去った。ほんの少し、赤い痣のようなものが残ったが、傷にはならないようだった。窓辺に乾してあった布巾でそれを包み、床の上の潰れたものも拭き取り、屑入れに押し込んだ。
　シェペッドの声は跡切れていた。裏木戸に回ったのかも知れない。
「ミューツィー、起きるんだ。ミュー、旦那がお帰りだ」
　私はミューツィーのまだ上気している熱い頬を二度、三度軽く叩いた。彼女は眉間にしわを寄せ、目をつぶった。もう一度叩くと目が開いた。とろんとした赤い目だが、ちゃんと鳶色の瞳がこちらを見ていた。
「ランケン……帰っちゃうの……頭が痛いわ」
「シェペッドが帰ってきた。服を着て、お出迎えだ」
　ミューツィーはようやくとりあえずするべきことを把握したようだった。頭を振りながら起き上がり、下着を付け始めた。
「詳しいことは後で話す。今日はここから失敬するよ」
　私は裸の上に外套だけ羽織ると、服を丸めて抱え、路地に面した窓を開けた。
「ランケン……」
　ミューツィーは下着姿で駆け寄り、私の首に腕を回した。
「シェペッドはいい奴だ。でも、彼の三分の一くらいは僕もいい男だろう」
「ばか。とんでもない男よ、あなたは」
　私たちはもう一度くちづけを交わし、私は二階の窓から飛び降りた。足でも折れば、完壁な三文喜劇の出来上がりだが、辛か不辛か着地は成功だった。
　私は明かりもない路地裏を、外套の前をかき合わせて走り、クーリカフ街へ向かった。

　次の夜、私は『アトスの店』の一階で、ディコンをすすっていた。シェペッドは調理場で忙しそうにしている。少なくとも、包丁を握っているときの彼は、私よりもはるかにいい男に見えた。
　ミューツィーが私の隣の席に滑り込んできた。自分用のシェアの洋杯を持っている。辛子色の麻の長袖に、白い前掛けをかけていた。目の下に隈が出来て疲れた様子だが、それはそれで魅力的ではあった。
「やあ、女将姿が板についてきたね」
「何言ってるのよ。昨日はどうなってたの」
「旦那には何て言ったんだい」
　ミューツィーは横目で調理場の方をちらりと一見た。
「頭が痛いから、寝てたって。ほんとに痛かったけど。体中に痣みたいなのがあるし、ランケン、昨日何か変なことしなかった？」
　私は昨日の奇怪な出来事を話した。ミューツィーは大きな目を丸くして、シェアをこぼしそうになった。
「変だと思ったわ。花瓶は割れてるし、屑入れに花は押し込んであるし……」
　私は思わず首を捻って、尋ねた。
「あのね、その、最中には変だって思わなかった？」
　ミューツィーは怪訝そうに赤い唇をすぼませた。
「最中？……昨日はすごく良かったわ。すごーくね。あの花のお陰かしらね」
　私は肩をすくめ、ディコンを口に運んだ。
「旦那に、また買ってきてって言ってみる？」
「ばか。あなたが、沼地の占い女か誰かに頼んだらいいでしょ」
　私は鼻で笑って、ディコンをあおった。ミューツィーはあたりを見回すと、素早く私の頬に唇を押しつけた。彼女もアニャチの山奥で体術を習ったのかも知れない。
「またね」
「ああ」
　豊かなお尻を振って、彼女は他の席に行った。私は杯の底に残っていた琥珀色のひと雫を飲み干すと、少しばかり情けない気持ちで『アトスの店』を出たのだった。